Afternoon Library 

       お気に入りの時間/July

 

2006.7
「ミカ!」「ミカ×ミカ!」伊藤たかみ 「ニシノユキヒコの恋と冒険」川上弘美 「恋愛中毒」山本文緒 
「158ポンドの結婚」ジョン・アーヴィング 「とるにたらないものもの」江國香織 「EM」雨宮早希    
「灰色のピーターパン」「眠れぬ真珠」石田衣良 「FINE DAYS」本多孝好 「薬指の標本」小川洋子  

 

感想文:「ミカ!」「ミカ×ミカ!」♪♪♪♪

 本はほとんどネットの古本屋さんでまとめ買いの私だけれど、リアルの本屋さんも好きな場所だし、

便利なのでよく足を運ぶ。便利、というのは人と待ち合わせをしたり(時間が気にならない)、電車待
ちの時間をつぶす(これは時間を気にしないと困る)場所として。「ミカ!」をリアル本屋さんでみかけ、
店頭でパラパラめくってみた時、まず思ったのは「字がおっきいぞ」。伊藤たかみさんはこの「ミカ!」
で小学館児童出版文化賞を受賞したらしい。それでは子ども向けの本なのか、というと・・・もちろん
子どもにも読んでほしいと思う本だけれども、たぶん自分を大人と自覚している人も普通に入ってい
ける本だと思う。
 この「普通に」というのは、実はあまり簡単なことじゃないのですよね。「違和感なく」では、本来なら
違和感があるということを前提としているみたいだし、「物語の世界にひきこまれて」ナドという大げさ
な表現はこの本にそぐわない。子どもの本を読む大人たち、ってわざわざこういうことを言いたがるフ
シがあると思う。誤解を招いてしまうかもしれないけれど、ハリー・ポッター的な世界に夢中です、って
いう大人のヒトビトはなんだか一生懸命な感じがする。そこは頑張るとこじゃないよねっていうか、潔く
大人になっちゃいなさいというか、「ずっと子どもでいたい」と思った時点で大人なんだから諦めなさい、
と失礼ながら思ってしまう。いえ、私とてハリー・ポッターは何作か読んだし、DVDも観ましたけれど。
大人の“マグル”として、私は好きですよ、ハリー・ポッター。
 ・・・話がだいぶ逸れつつあるけれど「ミカ!」にはなぜ大人が「普通に」入っていけるのかというと。
子どもと大人の間は、何か大きな壁のような物で隔てられているわけではないから。何かを飛び越え
て突然大人の世界へ私達はやってきたわけじゃなく、子どもからだんだん大人になってきたのだから。
子どもの世界と大人の世界はちゃんと続いているんだなぁ、ということをこの本に感じたのです。
 「ミカ!」「ミカ×ミカ!」の主人公は、双子の兄妹ミカとユウスケ。ミカは格闘技や野球やサッカーが
たいていの男子よりはうまく、ケンカっ早い“オトコオンナ”。「あー!アタシ、なんで女に生まれてきたん
やろ!なんでや!」と怒るくらい自分が女であることが悔しくてならない。
反対にユウスケはゲームやパソコン、読書が好きなインドア派。家族思いで周りに気をつかう男の子だ。
「ミカ!」は小六、「ミカ×ミカ!」では中二になった二人の日常が描かれていく。
嫌でも自分が大人に、女になっていってしまうことに気づいた小六のミカは、人間の涙に反応するサツマ
イモみたいな毛だらけの謎の生物・オトトイ(ミカ命名)を隠している秘密の場所で泣く。
「・・・おっぱいが大きならんような手術したい」
「そんなお金ないやん」 「ない」ミカは本当に泣いた。
「せやけど、はよせんと、ほんまに大きなってしまう」
自分が違うものになっていってしまうような恐れ。恥ずかしさ。嫌悪感。
でも、ミカとユウスケは背伸びせず、退行もせずに成長していく。その過程は新鮮でみずみずしい。
 「ミカ×ミカ」で中二になったミカは、男っぽい性格はそのまま持ち合わせているけれど、ちゃんと恋をし、
「もっと女っぽい子が好き」と結構キツイふられ方をすれば「女らしいって、どういうことなん?」と悩み、け
なげに努力する。恋を見守る青いインコ・シアワセ(ミカ命名)が好きな男の子に偶発的にはたき落とされ、
死んでしまった時には思いっきり彼をぶん殴るのだが、シアワセのお墓の前でふと彼に「あんなんしたけ
ど、アタシはまだ、アンタのこと好きやよ」なんてつぶやいたりもする。いや〜、ミカ!!女やないの〜。
 以前、ある演出家から「少女が老婆を演じることは難しいけれど、老婆は少女を演じられる。老婆は少
女の時代を経験しているからだ」という話を聞いたことがある。この本は大人の私の、少女の部分にも大
人の部分にも語りかけてくる。大人になるのはなくすことじゃなくて積み重ねていくことだと思う。
それでもやっぱり何かが変わっていってしまうことをどうしようもなく怖いと思うなら、ミカの言葉に励まして
もらうといい。泣きまくった次の日にミカは必ずこう言うのだ。
「だいじょうぶだいじょうぶ。子どもには幸せになる権利があるの。せやから、アタシも幸せになるんやわ」
 その通りだ。今日よりあした、あしたよりあさって、ミカはどんどん幸せになっていくだろう。それが幸せに
なる権利だもの。でも、正確に言えば、子どもだけじゃなくて、みんなその権利を持っている。
ただ、持っているってことを知らないだけ。だからみんなも心配しなさんな。
 

 

感想文:「ニシノユキヒコの恋と冒険」♪♪♪

 「結婚式には今まで付き合った人を全員呼ぶの。そしてみんなでオクラホマミキサーを踊りたい」。

誰かが言ったことだったか、何かの本で読んだのだったか・・・。想像するのは面白いけれど、さて、
実際はどうなんだろうというと、結構難しいものがある。まず呼べるものなのか、という問題があって
旦那さんがそういうことに寛容なのかどうか。過去を知っている友人や、そして“付き合った人たち”
どうしはフクザツな気持ちにならないものかどうか。私はどちらかといえば、過去に付き合った人や
付き合いかけた人との間に友だち関係を続けられる方なのかもしれないけれど、それでもなかには
「きっと来てくれないだろうなぁ」と思う人や「出来ることなら会いたくない」と思う人もいる。「連絡の
つきようもない」って人も。まあ、連絡のつかない人は別として、私のお葬式なら数人居合わせる
ことはアリかな、などと思うにいたり、ふとその風景がこの本に重なった。
 「ニシノユキヒコの恋と冒険」は、西野幸彦という男と付き合った(関わりのあった)10人の女性が
語り手となる連作集だ。最初の一編「パフェー」で、彼はもう15年ほど前に別れた人妻・夏美のもと
へ亡霊となって現れる。「死ぬときは夏美さんのところへ行くよ」という約束を果たすために。夏美と
付き合っていた当時、「ニシノさんにはいつもたくさんの女の人の影がさしていた」と夏美は振り返る
が、それは他九編の語り手である女性達が、時を超えて常に感じていること。彼女たちは彼の葬式
に参列しているように、それぞれの時代の彼と、彼といた頃の自分を語る。
 それぞれの女性は「彼がさほど自分を好きではない」ことに薄々、または確実に気づいている。彼
本人はどうかというと「ユキヒコは、自分がわたしに飽きたことをまだ知らなかった。知らせてやるもん
か、とわたしは思った。もしかしたらわたしの勘違いかもしれないし(イチルのノゾミ)」 (おやすみ)
だったり、同級生にキスして「僕とつきあおうよ」と言ったにも関わらず、「でも西野君、そんなにあたし
のこと、好きじゃないでしょ」と見透かされれば「そんなことない」と否定する。 (草の中で)
そして彼女たちが彼から離れていく気配を感じ始めると、必ず「結婚しようか」とほのめかし、別れを
告げられると青ざめたり、叫んだり、泣いたりする。でも、女性達はそれぞれに、彼のなめらかな無
関心や、彼の持っている深い淵や、彼の発している虚しさから逃れようとし、そのたびに彼は呟く。
「どうして僕はきちんとひとを愛せないんだろう」「ぼくはどうしてだめなんだろう」
女たちは気づいている。「西野君は女の子をほんとうに好きになるということを知らなかったし、最後
まで知ろうとしない、男の子だったから」 (夏の終わりの王国) そして彼自身、それを自覚している。
「もしかしてちょっと本気?」私が聞くと、ニシノくんは目を伏せた。「よくわからないんだ」ニシノくんは
答えた。「僕は、これまでそういうことにならないように、気をつけてきたから」 (しんしん)
そうして女達は「かわいそうなユキヒコ」「西野君が可哀想で、私は泣き出しそうだった」と言いなが
ら、みんな去っていく。
 ああ、せつないわ。こんな男とは関わらない方がいい。でも、関わってしまった彼女たちが、彼を可
哀想だと思い、でも離れていかなければならない気持ちが、なんだかすごくわかってしまう。
無邪気に、一心に、この人のすべてを愛する、と思いこませてくれない男。「西野君を愛することが
できるほど強くて優しい女の子なんて、この世に存在するんだろうか」。いないだろう、たぶん、と、
思わせてしまう男。ニシノユキヒコみたいな男、と断言できるような人と付き合ったことはないけれど、
この本を読んでいると、恋愛のさなかにある不安がひしひし迫ってくる。少し脳天気で、お馬鹿さんで
いないと、恋愛って辛いものなぁ。「私達(俺達)ってつきあってるのかな?」というセリフを相手に言う
というシチュエーションを経験した人は結構多いのではないか、と思うのだけれど、あれは不安を確か
なものにする場合が少なからずありますね。
 この本の中には、ニシノユキヒコの葬儀の場面が出てくる。彼は晩年、親子ほど年の離れた女の子
・愛と付きあっていて、彼女のために葡萄を買いに行く途中で事故にあう。
「たぶん、おれ、死ぬよ」さっき家を出ていった時と同じような、うきうきした調子の声に聞こえる。・・・
「愛、僕のこと、愛してなかったでしょう」西野さんは電話の向こうで、相変わらず嬉しそうに、言った。
愛は「そもそもあたしは西野さんだけでなく、男の子というものを恋しく思ったことが、まだ一度もない」
のだが、ニシノユキヒコの葬儀で出会った女性は、愛に「あなた、最後まで西野を愛さなかったのね」
と言い、いい気味、とつぶやいた後、でも、もったいないことをしたわね、と言う。
「西野を愛するのは、せんないことだったけど、楽しいことだったからね。甲斐のある苦役だったわよ」
ふん。せめて口だけでもそう言ってくれる人がいて、ニシノユキヒコも浮かばれる。でもね、彼はこの後
約束を果たしに過去の女のところへ行っちゃうんだからね。ほんと、ろくでもない。こういう男は絶対に
私の前に現れて欲しくない、こともない、かもしれない。
 

 

感想文:「眠れぬ真珠」♪♪

 石田衣良さんは、多作なひとだ。デビュー以来、次々とコンスタントに作品を発表している。

この人の計画にはたぶんほとんどズレがない。きっと子どもの頃は夏休みの宿題を提出日
までにきちんと仕上げただろうし、石田さんの仕事部屋はいつも整然としてるんじゃないか
と思う。もとコピーライターで、そして著作のなかで「コピーの仕事を愛してはいなかった」と
言っている。時間を守って仕事をすれば充分暮らしていけたし、自由な時間もあった、そうだ。
もとコピーライターらしさ、は彼の作品からも伝わってくる。時代をちゃんと識っていて、そして
ちゃんと読んでいる。とても頭の良い人なんだと思う。そのせいか、最近の作品はライト傾向、
デビュー作「エンジェル」や、最初の頃の「池袋ウエストゲートパーク」にあったような毒が薄く
なってきているように感じるのがちょっと残念。
 石田作品のなかで、恋愛を描いたものはいくつかあるけれど、「眠れぬ真珠」もそのひとつ。
帯には「愛は、経験じゃない。恋は、若さじゃない」と大きく書かれ、その下に「45歳の女性
版画家と17歳年下の青年。大人の女を、少女のように無防備にする、運命の恋」、とある。
どっぷり、恋愛長編。なんか、こう書かれてしまうと、私ってそんな大それたことをしたのかしら
と首を傾げてしまうんですね。16歳年下の旦那さまがいる身としては。客観的に見たらどうか、
という話はおいとく。恋愛って、客観的にみても意味がないものなので。自分にとって特別か、
といえば、どの恋愛も本人にとって特別なのと同じ程度に特別。不安はないのか、と聞かれた
ら、誰にも先のことはわからないから、楽しみと背中合わせに不安はつきもの。恋愛の経験値
って役にたつのかといえば、そんなもの役に立った試しはなく、傷つくのにも慣れないし、ドキ
ドキするのにも慣れないなあ。ただ、「恋愛に年は関係ないですよね」と言われると(これ、本当
によく言われたんです)、関係ないことはないぞ、と思う。だって私が二十歳だったら16歳年下
の男とは付き合えないし・・・ということが言いたいのではなくてね。今の私だから、このひとと
一緒になったんだな、と思う。マイナス16年の私を彼が好きになったか、というとハナハダ疑問だし、
マイナス10年でも私はきっと違う場所にいる。私が過ごしてきた時間の流れのなかで、どこをどう
切り取っても、今の私は存在しない。
 さて、「眠れぬ真珠」。どっぷり恋愛小説、を愉しんだけど気に入らないところもいくつか。
「いつか素樹とは、決定的な別れのときがやってくるだろう。十七歳。この時間差は永遠に埋ま
らないのだ」
決定的な別れ、は「時間差」の問題じゃないと思う。決定的な別れは、人生の終わりか、その
手前か、そのだいぶ手前かに、どんな恋人どうしにもやってくる。別れに年は関係ないです。
「だからこそ、今このときを逃さないようにしよう。今日は明日よりも、いつだって一日だけ若い
のだ」
うん、なるほどね。ちょっとポジティヴな考え方のような気が一瞬する。でも、これ言っちゃうと、
結局一日でも若い方がいい、ってことになるんじゃないの?と思う私がひねくれてるのか。
 

 

感想文:「薬指の標本」♪♪♪

 ひっそりとしたかなしみ。しんとする痛み。あきらめと隣り合わせの、静かなジェラシー。

相手のなかに自分の入ってゆけない扉がある。冷静に、素っ気なく閉ざされる扉は頑なな
拒否ではなくて、こちらの覚悟を試している。意地悪、なのではない。そのなかへ足を踏み
いれたなら、もう戻ることはできないからだ。自分で選ばなければならない。決めなくては
いけない。でも人は、決意を意識する前に、自分が何を選ぶかをどうしようもなく悟っている。
 そこは、人々が思い出の品を持って訪れる「標本室」。ある人は家族を火事で失った、家
の焼け跡に生えていたきのこを。ある人は恋人が楽譜に書いた音を。ある人は文鳥の骨を。
「標本は全部、僕たちで管理、保存するんです」と標本技術士の弟子丸氏は言う。「封じ込
めること、分離すること、完結させること、がここの標本の意義だからです」。自分の過去と
結びついている品々を標本にした後、ほとんどの人はそれと対面しには来ないという。
「本当は誰でも標本を求めているものなんだ」と言う彼は、事務員として働くことになった「わ
たし」に訊ねる。「今まで一番悲しい思いをしたことは何?」「みじめな思いをしたことは?」
「恥ずかしい思いをしたことは?」。そして「一番痛い思いをしたことは?」と問われたとき、
「わたし」は「左手の薬指の先を、なくした時です」と答える。彼女は以前働いていたサイダー
工場で、機械に指を挟まれて左手の薬指の先を、ほんのわずか欠けさせてしまっていた。
 働きはじめてしばらくの後、「わたし」は弟子丸氏から足にぴったりとなじむ靴を贈られる。
もと女子寮だったという標本室の建物の、今は使われていない浴場で、彼に靴を履かされ
る場面、そして、それから始まる浴場でのデートは静かでエロティックだ。男性が女性に靴
を贈る、という行為自体がとてもエロティックなんだけれども。が、文鳥の骨を標本にしてほ
しい、と依頼にきた靴磨きのおじさんは、その靴を見て不吉な予言をする。「この靴、脱ぐん
だったら今のうちだよ」。あまりにも足にぴったりと合いすぎたその靴は、足を浸食する靴な
のだ。「靴の浸食と彼氏の浸食はつながってるよ。今すぐこの靴を脱がなきゃ、ずっとこれか
らは逃げられない」。しかし、「わたし」は自分がこの靴を脱がないだろうことを知っている。
「自由になんてなりたくないんです。この靴をはいたまま、標本室で、彼に封じ込められて
いたいんです」
 「標本室」は弟子丸氏だけが入ることの出来る場所。が、顔の火傷のあとを標本にしてほ
しい、とやってきた少女は彼に連れられて「標本室」に入っていった。その少女が出てきた
姿を「わたし」は確認できないまま、そして火傷の標本もみつからない。「わたしも、自分と
切り離せない何かを標本に頼んだら、あなたと一緒に地下に下りられるかしら」。答える代わ
りに、彼女の左手の薬指を持ち上げる彼・・・。
 そして「わたし」は、登録用シールを作る。「登録番号 26-F30999。そして標本名。薬指」
建物が女子寮だった頃からここに住んでいる老婦人の言葉が、彼女のこれからを暗示する。
今までの事務員は、みんな一年足らずで突然ぷっつりと、空気に溶けたようにいなくなって
いるのだ、と彼女は言う。「わたし」の前の事務員は、消えてしまう前日、コツ、コツ、コツ、と
規則正しく、真っすぐな靴音を響かせながら、地下室へと向かっていた。「その人がどんな靴
今を履いていたか、憶えていらっしゃいますか?」。「わたし」は、もうその答えを知っている。
それでも「わたし」は標本室の扉に向かって歩く。薬指をそっと手のひらに包み込みながら。
「弟子丸氏はわたしの標本を大事にしてくれるだろうか。時々は試験管を手に取り、漂う薬指
を眺めて欲しいと思う。わたしは彼の視線をいっぱいに浴びるのだ」
美しくて、怖くて、せつない恋の物語。
 

  

 

 

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