Afternoon Library 

       お気に入りの時間/June

 

2006.6
「間宮兄弟」「赤い長靴」江國香織 「恋人はいつも不在」「ベターハーフ」唯川 恵 
「大学教授の不完全犯罪」「女子高校生誘拐飼育事件」「やがて哀しき『ラブ・ノート』」    
「美人銀行員オンライン横領事件」松田美智子  

 

感想文:「間宮兄弟」♪♪♪

 佐々木蔵之助と塚地武雅(ドランクドラゴン)が『間宮兄弟』を演じた映画は観ていない。

観ていないのだから、思いこみで言ってはいけないんだけれど、塚地くんはともかく佐々木蔵之助じゃかっこよすぎませんか?
と、つい思ってしまう。
 明信と徹信の間宮兄弟は35歳と32歳。『これまでのところ恋人のいたためしは無い』2人への女性達の評価を総合すると
『格好わるい、気持ちわるい、おたくっぽい、むさくるしい、だいたい兄弟二人で住んでるのが変、スーパーで夕方の五十円引
きを待ち構えて買いそう、そもそも範疇外、ありえない、いい人かもしれないけど、恋愛関係には絶対ならない、男たち』
ということになるらしい。やせっぽちというよりも貧相な兄の明信は、白いワイシャツが好きで几帳面で、しょっちゅう胃腸薬を
飲んでいて、弟の撤信に言わせると「十分な品が備わっているが、おおらかさが足りない」。兄と正反対に太っている撤信は
ラフ(過ぎる)格好が好きで、仕事場では働き者なのに家ではずぼらで、情に厚く、熱中しやすく、純朴で一途。(塚地くんに
ハマる役だと思う)つまり、二人は両極端で、そして両極端にも関わらず、二人とも『範疇外』なのである。
 なんて気の毒な、と思わずにいられないが、それでも間宮兄弟は極めて心穏やかに暮らしている。それは『もう女の尻は
追わない』と決めたから。『そう決めた日から、すべては俄然平和になった。俄然平和に、そしてびっくりするほど美しく』
だから2人は、いつも一緒に遊んでいる。贔屓球団の、全試合のスコアをきちんと付け、クロスワードパズルで競争し、
ダイヤモンドゲームやモノポリーや人生ゲームなど様々な『なつかしげな』ゲームを使いこみ、2人が「おもしろ地獄」と呼ぶ
ジグソーパズルに『満を持して』取り組む・・・いい大人だというのに。
 『女の尻は追わない』と決めたにも関わらず、明信には心の恋人がいる。それはビデオ屋の直美で、明信は「店員オススメ」
コメントに直美の署名があるビデオばかりを借りていて、感想を直美に訊かれるのを『秘密のキャッチボール』と感じ、直美が
自分たちに好感を持ってくれていると思いこんでいるが、撤信から言わせればそれは『お愛想に決まっている』。自分が幸せ
になるためにも、まず明信に幸せになってほしいと願う撤信は、自分の働く学校の女性教員と会わせようと目論み、カレー
パーティーを計画する。『ついでに直美ちゃんも招ぼうか』という明信の『楽天的』な言葉に呆れつつも、弟は兄を傷つけない
ように画策する。しどろもどろにカレーパーティーへ誘おうとすると、即座に直美からOKが出て明信は倒れそうに驚く。でも、
それは、撤信が前もって直美に懇願したからなのだ。撤信は兄思いの「うい奴」なのである。
 撤信が「明信タイプ」だと思って誘った女性教員・依子は妻子ある同僚との疲弊していく恋の終わりに気づき始めている。
直美は直美で、現在恋人はいるのだが、バイトやサークルを理由にしょっちゅうドタキャンされ、妹の夕美にも「おねえちゃんは
甘い」と呆れられている。そんな風に、うまくいかない恋の終末だったり、途中だったりする依子と直美だが、それでも彼女達
にとって間宮兄弟はやはり『範疇外』だし、すごく変なひとたちでしかない。カレーパーティーの次に計画した花火大会の日、
間宮兄弟はわざわざ浴衣を誂えて彼女達をもてなすのだ。本当に、なんて変なひとたち!いい大人は普通こうまではしゃが
ない。張り切りすぎるのは格好悪いし、期待しすぎると後で手痛いしっぺ返しが来ることを、みんな学んできたからだ。おまけ
に彼らは『女の尻を追わない』ことに決めたはずなのである。にも関わらず、張り切ってしまう。明信は、直美に恋人がいるの
を知って傷つくが、撤信もまた、後で手ひどい目にあうことになる片想いへ突進する。(これが、まさに“突進”で、ちと危ない)
彼らだって本当に楽天的に自分の片想いが実るとは思っていないはずだ。ただ、彼らはいつも大まじめなだけだと思う。
ちょうど遊ぶ時と同じように。
 間宮兄弟は格好悪いし、子供じみている。彼らが大切にしている「遊び」は、大人の遊びのように贅沢でも豪華でもない、
本当にささやかな遊びなのだ。でも、彼らは自分たちがきちんと楽しむためのルールに準じ、作法を守って遊ぶ。「おもしろ
地獄」のジグソーパズルを火曜日に買ってきても、満を持して遊ぶために金曜日まで楽しみを取っておく。ささやかなことの
ために、自分に課すささやかなルール。そうしたルールを守ったからこそ、楽しみを存分に満喫して「楽しかったなあ」、「あ
れは良かったなあ」と2人は感想を言い合う。きちんと感想を言い合うことも、彼らの大切な作法なのだ。
 小学校の校務員をしている撤信は自分の仕事が気に入っている。この仕事もささやかなことの積み重ねだ。ひとつひとつ
の仕事を黙々とやり遂げながら、撤信は自分をヘミングウェイになぞらえる。『男と孤独。人為対自然』。実際、ヘミングウェイ
がワックスがけや散水やタイル補修なんかはしないと思うけれど、でも、こうした仕事をきちんと積み重ねられる男は好もしい。
例えば温かい料理のために、お皿を温めておくこと。美味しいワインを飲むために、グラスをぴかぴかに磨くこと。こういうこと
をきっちりやって、料理やワインがちゃんと楽しめる。ささやかなこと、というのは大事だ、と思う。
 そんな2人とつかの間「遊んだ」人々は、ほんの少し変化する。それはけして劇的な何かではないのだけれど、本当にほんの
少し、心のなかで動くものがある。依子にとって、それは終わった恋と、想いを断ち切るために嫌なところばかりを見ようとしてい
た元恋人への“未練”(例えば依子は他の男性とデートをしても、どこかで元恋人と比較してしまう)を、『仕方がない』『傷が癒え
るのには時間がかかるのだろう』と微笑んで認められるようになるまでの時間。直美にとっては、『怖がるのをやめよう』、彼を信
じようと思うまでの出来事。直美は思う。『ふられて、その後誰ともつきあえないとしても、将来間宮兄弟みたいに夕美とたのしく
暮らせるかもしれない。あんなふうにまっすぐ生きていたら。他人の目とか、恰好とか、下らないことにしばられずにいたら。』
 間宮兄弟は自分たちのルールに準じて大まじめに恋をし、そして、きっちり傷ついて、2人にとって居心地のよい場所へと帰っ
ていく。いつまでだって2人は一緒に遊べるのだ。
 

 

感想文:「ベターハーフ」♪♪

 「結婚は入れ子の箱を開けていくようなものですから」

これは物語の初めに、結婚式場の介添え係の女性から主人公の一人・文彦に語られる言葉。
バブル真っ盛りの1989年(平成元年)、文彦と永遠子は贅を尽くした結婚式を挙げようとして
いる。ところが、いよいよ式も始まろうという時、花嫁の控え室に現れた女が手首を切って自殺
を図る。それは文彦が半年ほど付き合い、結果的に捨てたことになる女・沙織だった。自殺は
未遂に終わり、文彦と永遠子は何事もなかったように式を挙げる。新婦の履くサテンの靴には
赤く小さなシミ。なかなか縁起でもない門出である。沙織を病院に見舞い、手切れ金を渡して
式場へ詫びを入れに行った文彦に介添え係りの女性はさらに言葉を重ねる。
「大変なのはこれからですよ。じきに昨日のことなど大したことではないと思えるようになります」
この予言のような言葉の通り、文彦と永遠子のそれからの十年はまさに波乱に満ちている。
結婚一年にして夫は浮気、妻は不倫。そこへ株の暴落がやってくる。妻がつきあっていたのは
フリーのディーラーで、彼の言うまま株を買っていた妻は大損。夫も株で負債を負った上司の
使い込みを尻拭いしなくてはならなくなる。そこで離婚の危機が訪れるのだが、二人は目の前
に立ちふさがる様々な手続きに、離婚する気も萎えてしまう。寝室も別にした生活を続ける二人
だが、夫の昇進のために夫婦揃って上司の家の大掃除にかりだされ、疲れ切った永遠子が文
彦をなじったことで逆上した彼は抵抗する妻を無理矢理に夫婦間レイプ。おまけにファッションヘ
ルスに通っていた文彦は、相手の女性が年齢を誤魔化していたために売春防止法に引っかかり
事情聴取の憂き目にあう。今度こそ離婚を決意する永遠子なのだが、そこで妊娠が発覚する。
・・・と、まぁ本当に次から次へといろんなことに見舞われる二人なのである。
 ドラマじゃないんだから、とか、いくらなんでもここまで次々にコトは起こらないだろう、という気が
しないでもない。でも、ひとつひとつがここまでオオゴトにはならないにしろ、夫婦の生活のなかに
こうした危機が生まれる可能性が全くないとは言い切れないだろう。
 他にも妻の育児ノイローゼ、夫のリストラ、妻の両親の熟年離婚、夫の父のアルツハイマー発症
そしてお受験等々、週刊誌の表紙を飾るタイトルのような出来事が次々と起こるなかで、二人にも
「もうひとつの人生」へのチャンスも何度か訪れる。だが、そこで新たな道を踏み出したところで、
波風のたつこともなく安定した、それでいて退屈はしない完璧な幸せのかたちをみつけられるのか
といえばけしてそうではないわけで。夫のアルツハイマーに追いつめられた文彦の母は言う。
「夫婦って本当にいろんなことがあるのね。もう四十年近くやってるけど、ずっとこんなはずじゃ
なかったっていうのの繰り返し」
こんなはずじゃなかった、かぁ。これは言いたくない台詞だな、と私は思う。こんなはず、って、ねえ。
明日のことなんてわかりはしないから。だからこそ「想定外」のことは必ず起こると思っておいた方が
いい。「想定外」の可能性自体を「想定内」にして、男も女も関係なく、これから起こる出来事のため
に自分を鍛えておくしかない。柔軟に、そしてたくましく。もちろん全てに悲観的になる必要もない。
「想定外」に素敵なことや楽しいことだって、たぶんきっとあるんだから。
物語の結末は「子はかすがい」的で、落ち着くといえば落ち着くけど少し物足りない印象を受けた。
今後もきっと起こるはずの波乱を前にして、この結末はひとときの穏やかさなのかもしれないけれど、
やはり唯川さんにはどこかクールなスタンスが良く似合う。たとえば文中のこの言葉。
「結婚はオスとメスを緩やかに去勢していく。その方が生活には適しているからだろう」
こういう言葉をさらりと書く。大人の女性だなぁ、と思う。
 

 

感想文:「松田美智子作品あれこれ」♪♪

 あれこれ、と一括りにするのは非常に申し訳ないと思う。ごめんなさい。

松田美智子さんのこれらの作品は、全て実際に起こった事件を題材にとったドキュメンタリーだ。
今回続けざまに松田作品を読むことになったのは、これといったきっかけがあるわけではない。
ただ、私の中に「犯罪者の心理を知りたい」という気持ちが無性に湧き出す時がある。
人は被害者にも、犯罪者にもなりうる。私はもちろん、私の周囲の誰でも。
被害者になるのはもちろん嫌だし怖いけれど、もっと怖いと思うのは私の周囲の誰かが、
たとえば家族が、友人が、尊敬する人々が罪を犯してしまうことを想像することだ。
理不尽で、惨い殺人事件が起こった時、犯人を死刑に処せよという声が広がる。
人が人の命を、その先に広がっている未来や可能性を奪ってはならない、という
この社会のルールを犯すことは許されないから。
戦争という名前で殺人を繰り返す国でも、このルールは守らねばならないものとされている。
ルールだから罪を犯してはいけないというのは簡単だけれど、それではなぜそのルールが必要に
なったのか。もしかしたら、人には生来「他者から奪う」という本能が備わっているのかもしれない。
金品だったり、快楽だったり、命だったりを、自分のために他者から奪うことが「いけないこと」と
されない世界なら、それはたぶん奪われる方の自業自得ということになるのだろう。それでは
社会が成り立たないからルールが作られ、常識や道徳として教え込まれる。にも関わらず、
毎日のように犯罪は起こり、繰り返される。罪を犯す人が異常なのだと決めつけることはできない。
「まさか、あの人が」、「あの子が」と言われる人が犯罪者になる。まさか私が、家族が、友人が。
それはやはり本能だから?生まれついてのモンスターだから?
これを考え始めると堂々巡りで、いつも苦しくなる。でも、どうして、という疑問はぬぐい去れない。
松田作品で取り上げられた事件は、殺人、横領、誘拐と多岐に渡っていたけれど、そのどれにも
動機があり、そして衝動があった。理由なき犯罪ではない。衝動をそのまま実行にうつす瞬間を
想像することはできるけれども、その現実を知っているのは当人だけだ。そこに至るまでの動機を
窺い知るだけに、結果として留まってしまう私にはやはりぬぐい去れない気持ちが残る。
 その瞬間の気持ちなんて、実際にはわからない方がいいのかもしれない、と思うこともある。
でも、怖いから知りたい。知らないことに希望は見いだせない。いつ罪を犯すかもしれないのだから。
 

  

 

 

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